8月はほとんど中国に行っていました。もう帰国して2週間がたちますが、やっとブログアップ。
4月からスタートしたプロジェクトが遅れに遅れて結局8月に全部重なってしまいました。プロジェクトといってもただ単に流れで大仕事の業務が重なったからでスバル5台とアウディR8が2台という簡単なようでやっかいな車両たちがすべて8月になってしまって・・。
それにしても、昨年波乱万丈でしたが、今年は今年でまた新たな試練が・・。中国でのビジネスの難しさ、痛いほど実感しているようでまだまだ奥が深い・・。まだディープな部分があったかとおもうとこの先もどうなることやらと不安もいっぱい。昨年末に引き続き、“最悪の想定”という普通はめったにないはずのリスクがいとも簡単にやってきます。
でももうここまでやってきたんだから前進あるのみ。これまでの失敗も含め、これらの経験を武器にこれからが勝負です。・・ね。
ところで・・前回“シャレになってない”編で書いた中国新幹線。今回しっかり乗ってきました。8月の最初だけは、移動に国内便の飛行機を使ったんですが、8月後半の出張ではやはり便利な新幹線に。
A/m/sチャイナのある温嶺市または近隣の温州市は、意外にも日本で語ると知らない人が多く、だいたいは“上海の近くです!”といっていたんですが、皮肉にも最近は“新幹線の事故があったところ”で通じます。困ったものです。
その新幹線、日本人があまり利用しない場所だけに(いままで会ったことがない)、きっと自分は希少な体験者かもしれませんね。
最近めっきり報道されなくなったご当地状況~
はい、まあごく普通に日常運転していました。
利用客も駅の雰囲気もかつてとまったく変わらない日常が繰り返されています。
前と違うのは、乗り込む前にちょっとやな予感・・がすることぐらい。切符を手にして○号車という記載をみて先頭?最後部?って心配するようになったことくらいかな。(・・深刻!?)
日本での報道のとおり、8月の中ごろより最高速度は50km/hほどおさえるようになったようです。
でも・・不思議、4時間近く乗るんだけど、所要時間があんまり変わっていないような・・。
車内の速度表示はたしかに低くなったような気もするのだが・・。
まあ、中国も自分にとっては嫌いな国じゃないのであんまりネガティブなことを紹介するのもよくないと思いますので“無事に帰ってきました・・・”とだけ言っておきますか。とにかく、この国ではいろいろ深く考えるのは意味がありませんから。
ちなみに、知っている人は知っていますが、意外に知られてないのが上海ではリニアモーターカーがもう5~6年も前から営業運転しています(世界でここだけ?)
自分も毎回利用していますが、最高速度430km/h!
カーブにさしかかるとそのバンク(傾き)具合は飛行機並み。車窓からは真横に住宅や田畑が見えます。
新幹線の350km/hをはるかに超えたこのスピード。
上海に行ったらぜひどうぞ・・!?
【最初の写真】
アクアラインよりはるかに長い“杭州大橋”です。長さは倍以上!そしてトンネルはなくて全部が“橋”です。
中間点のSAで移動につかったインプGRBで一休み。
今回は、珍しくクルマの話ではありません。。。
最近なにかと話題となっている中国の新幹線。
さっき、自分にとっては衝撃的なニュースが飛び込んできた。
さっき発生した事故。
この場所は、A/m/sチャイナのすぐ近く。
しかもこの新幹線(和諧号)はよく使っている。
いつも上海から乗車するのだが、事故発生地点はいつも利用する駅の先。
まさにいつもの駅と次の駅との間。もちろん、温州に行くのにこの区間を使ったことも何度かある。
(写真:JRCA広報)
まず、ブログに書こうと思っていたこと。
3月末でJRCA会長職を終えました。
関係者のみなさま、長い間お世話になりありがとうございました。
思えば7年に渡って務めてきたんです。
2004年当時に指名されたときは「何で自分が?」という状態に始まり、最初の1年はなぜかいろいろ謝ってばかり(笑)それに、正直いうとそのころはまだ現役のつもりでいましたから、自分がエントラントでなく違う立場でラリーの現場にいるのが辛くもありました。そしてそのあとの3年くらいでは、なんだか全日本ラリーが変わってきたような充実感が少々。しかし、残念ながら、その後の3年は、あまり何も出来ずすこし残念でもありました。
思えば、日本のラリー事情が自分がもとめるものとは少し違ったからこそ、海外のラリーに飛び出したわけですが、そうはいっても自分の母国のラリーがもっと活性化して欲しかったですし、トップカテゴリーである全日本ラリーはプロ化して欲しかったわけです。だからこそ違うアプローチをしてみたり、会長職も引き受けました。・・いま思えば選手として盛り上げるべきだったのかも・・。といっても今その答えは分かりません。
とくに後半は自分の本業もとても複雑化してきていたこともあり、わずかな時間でも確保するは至難の業。(ラリーが主業務であればもっと違ったのかもしれませんが・・)
かといって、ある程度改善されてきた全日本ラリーにとって、“それ以上”のステップへ押し上げるには今度はいろいろな意味でよりハードルの高い状況。とうぜん自分にとってもハードルは高かったんです。はがゆいと思ったり負い目を感じてもどうすることも出来ませんでした。「でもいまは力がなくて大きなことができなくても、JRCAが存在することが今は大事なんだ」と思うしかありませんでした。
7年という就任時期は長すぎたと思っています。
活性化のためにも4年前後で変わるのが適正だったと。しかし現実的には後半は交代を希望はしていたとしても、後継の方として適任の方(いろいろな条件で・・)が容易に見つからず、時期適任の方に引き継げなかったのは残念でした。これほど重要な会を投げ出すわけにも行きませんし、だれかに代わるためには誰かを口説かないと(笑)いけませんが、そんな余力すらなかったのかも。
しかしながら、今年4月より、ようやく新体制のJRCAが動き出しました。
いろいろな背景を経て、ようやくみなさんの力が積極的に前に向かうようなパワーを蓄えたタイミングだったのかもしれません。いまの皆さんのパワーは、自分が望んでいたパワーでもあり、身を引く立場としては実に安堵した気分になれます。
(ちなみに映像レポート配信もスタートしています。(http://www.youtube.com/user/JRCAVideo)
2009年は映像だけとっていろいろな事情で形にはなりませんでしたが、今年のコレはイベント後にすぐ見れるっていうのがいい感じです。)
ラリーというものは、実は“誰もが参加できる身近な競技”という性格がある反面、全日本ラリーについては、日本のトップカテゴリーであるという“興行性のある競技”という側面もあります。どちらもとても大事だと思っています。今後の日本のラリーを考えるにあたって、この2つの相反する内容をどう分離していくのか、またはどうバランスするのか。この部分について、しっかりとコンセプトを決めていかないと、方向性を見誤ってしまうのではないかと思います。
方向性が微妙に違えど、“ラリーという競技を、関係者のだれもが愛してやまない”と言う事実は、7年間の行動の中で何度も意識してきました。そのパワーがひとつの方向にいくことが今後の日本のラリーの未来を決めていくのかもしれません。そしてそれができる可能性が一番高い組織がJRCAだと思っています。ただし、誤解されがちなんですがJRCAというのはみんなでなにかをするための組織であって、誰かが何かをやってくれるモノではないということ。(JAFやJMRC組織とは根本的に違う性質のものです。そしてこれも誤解されがちですが小さなことをするにも資金が十分ではありませんし・・)
とにかく、コンセプトと組織の本質を関係者みんなで一致させないと。
会長職は離れましたが、日本のラリーの今後について、もちろん私自信も、それがより成熟した文化となるよう祈っていますし、今度は違う立場で、自分なりそして自分の経験なりになにか役に立つことが出来ればと思っている今日この頃です。
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ということで・・・
最近はインストラクターやデモランばかり。まあ、やっと開放されたことですし・・・
走り気分、少しずつ再燃焼中!?(笑)
周りに刺激になりように、もうちょっと走って役に立てなきゃねえ。
(・・とはいっても、その前に今の課題をクリアしなければ!?)
今日、ひさびさにブログを更新します。
いままでもほったらかしになったことは何度もありましたが、今回は特別かもしれません。
というのもあの大震災がおきてからすっかりと書くだけの気分にならなかったんです。
見てのとおり、前回バイパーで遊びに行ったところを境に時が止まってます。
実は、更新はしていませんがあの前後にはいろいろありました。
昨年に引き続き韓国のスキー場にクルマを走らせに行ったのは2月の中ごろ。
震災後直後には中国正月明け初のチャイナ出張・・・。
そこでは昨年末に起こった“超ハプニング”もようやく収束してきてすこしの安堵感。
その後、長く務めたJRCA会長職を退任となりこれまた安堵。
そして、1ヵ月後・・気になって仕方なかった仙台も訪問してきました。
それにしても・・・
衝撃的でした。
・・とてもブログの気分じゃありませんでした。
なんだかあまりに強烈で悲痛な現実が目の前にあると、ブログに書き込む言葉などすべてが軽く思えて・・・。
つまり、自分的には“がんばれ”とか“がんばろう”とかいう言葉が、なんだか軽々しくて言うのがはばかれる気持ちだったんです。
自分は東京生まれ東京育ちだけど、仙台は自分の第2の故郷。
大学に通い、毎日クルマにどっぷりつかり、そして多くの大切な人と出会いました。
仙台に住みたくてそこの大学に行ったといっても過言ではないほど。
ラリー人生もそこで始まったわけですし、そしてそのおかげで今の自分が成り立っているんですから。
地震が起きた時、東京のA/m/sに居ました。
あまりに大きな地震なので、第2波に大きく揺られながら、まず心配したのは東北地方でした。というのも、これまでいつも大きな地震のときは八戸や仙台が大変なことになっているからです。
しかし・・・
直後のニュースではやはり・・というか、あまりに非現実的な光景に
身がちじこまるほどの息苦しさ。
しかも津波に飲まれている地域はどこもかつて住んでいたときになんども行き来した場所。
空撮の撮影で津波に飲まれいく田んぼのあぜ道1本1本まで知っているような場所です。
そして、
仙台や石巻を訪れたのは1ヵ月後。
みなさんの安否は分かったのでほっとしていたとはいえ、なにかしなければと・・
そこで見た光景、その空気は一生忘れることがないでしょう。
あれほど、ニュースで見てきたはずの光景なのに、実際にそこにいくとあまりに非現実的。
ある場所に行ったときは本当に身震いがしました・・まさに身震いでした。
自分は死というものを普通の生活スタイルよりは常に意識している方かもしれません。
でも、現地で見た光景はモータースポーツの世界とはまったく違う次元のその世界でした。
この衝撃は確実に自分を変えた気がします。
この毎日に翻弄されているような自分になにができるのか。そして自分がしていることの価値はなんなのか。
行動範囲が広がったゆえにいろいろな人とも出会うチャンスが多くなった今だからこそ、それを意識する意味はおおきかったかもしれません。本当にいつ何が起きるか分からない。もっと強くならなきゃいけないし、そして1日1日の“今の時間”の大切さや幸せをいつも感じるべきだと。
なんだかとりとめのないコメントになりましたが、
3ヵ月を経てようやくブログを書く気になりました。
なんだか、すっと苦労してきたことが今年はいろいろ動き出してきた気がしてて、
やっと前進の実感がわいたりして。。。
まずは自分が元気じゃなきゃ。なにがあっても前に進むこと、それしかありません。
よしっ!
(photo:autoblog)
そういえば、今年のWRCは新型WRカーの時代だ。
いままで2リッターターボだったのが、1.6リッターターボに。ダウンサイジング時代の今だから自然の流れでしょう。ラリーカーとしてひと時代の完成形ともいえる、2010年までのWRカーがなくなるのはさびしい気もするけど、ラリーカーとしての迫力があればいいのかな。最近だとエアロダイナミクスも機能美を感じてこれは素直に好き。(もっとも過去のノーマル然とした外観のラリーカーが疾走するのはこれは別の次元のカッコよさがあるけど)
ところで、迫力といえばやはり走りでしょう・・でもそのためにはエンジンっていう要素はとても大事!というお話。
これまでのWRカーは小さなパワー制限のリストリクターを吸気側に取り付けられていたために、エンジンパワーの常用域はRPM4千前後。なので独特の低いエンジン音が特徴だった。もちろん、“低い”といっても、高効率のレーシングエンジンだし、アンチラグもつかったりして、これはこれで実際に見ると腹のそこに振動が来るような迫力音。でも・・・2リッターNAエンジンである昨今のS2000カテゴリーマシンを見てひとつ気づいた。やっぱり、エンジン常用回転域が高回転は迫力満点! 一生懸命走っている感じもするその音に湧き上がる感動を覚えます。やっぱりレーシングカーに音の要素は大事だ。
2009年のチャイナラリーで初めてアリスターマクレーがドライブするプロトンS2000を見たときにとても印象的だったんだけど、老若男女に一番人気だったのがプロトンS2000だった。スタート順は20番以降だったような気もするが、それでも、SSの沿道に居合わせた人々はワクワクしながら、そして時に歓声をあげて待っていた。スタートしてからずっと甲高いエンジン音が山々にこだまするあの迫力は誰にでも分かりやすいカッコよさだった。
さて、Youtubeなどでは早くも2011年仕様のWRカーの走りが見れる。まだ完全じゃないかもしれないけど、“甲高い音”でもなく“迫力の重低音”でもない、このマシンがどれだけ“迫力ある走り”をしてくれるのか興味深々である。“大柄なボディ+大パワー=迫力”って自然な方程式があるけれど、“小さなボディ+小排気量”ですからね。いまのところ、路面のウネリにあわせてエンジン音がウワンウワンと上下しているようなサウンドで、なんだかパワーが不足しているような印象。もちろん小さいエンジンだから仕方ないんだけどね。まあ、これはこれからGpA時代の黎明期がそうであったようにこれから各メーカーとコンストラクターの努力で迫力のエンジンになっていくんでしょうね。突き詰めたものにはかならず感動を感じさせてくれるものがあるはずですから。
それにしても、こんなWRCの動向にも関連して、ちょっと不安になることがひとつ。日本の自動車メーカーってこの“ダウンサイジングとスポーツの両立”ってトコロ遅れてません? 最近の欧州車、ダウンサイジングといっても、スポーツグレードはちゃんとこのコンセプトが生きてます。もちろん開発に時間と費用は掛けたのだろうけど、みて、触って、走らせて・・そのたびに、「量産エンジンなのに・・、ベースグレードなのに・・」という“考え方の違い”を見せ付けられて日本人として複雑な気持ちになることがよくあります。なんだか“環境”とはいいつつもしっかり“クルマの楽しさ”を忘れさせない・・・。そんな文化の違い?を感じると、日本におけるモータースポーツの停滞って自動車メーカーがもっと何とできるんではないかな・・と。というか“するべきだ”と思う今日この頃。(というか開発時間を考えると、時すでに遅し?そうは思いたくないけどねえ・)
まあ、それはさておき、
2011年のWRC初戦はもうすぐ!
たのしみだなあ。。
もうすっかり2011年も20日ほど経ってしまいました。みなさんいかがお過ごしでしょうか?
~今年もよろしくお願いします。
このブログももう10年近くやっていますが、できるだけラリーをという風に思っていたし、なんだかアップロードする気にならない気分の時もあったんですが、まあそれになりにこれだけ続けてきたのだから、今までどおりの気まぐれ路線でいいかも、と年始から2011年に向けて開き直りでいきます。
過去には基本は“ラリーカー”的ノリで来たものの、最近の環境の変化?によって、クルマについてのいろいろな世界が広がったのはうれしいこと。いままで、“モータースポーツ”という“レギュレーションの世界”を基本にすべての考え方があったけれど、ある時、ふと“外を見回してみると”気の遠くなるような広大な世界が広がっていました。いろいろな自動車メーカーがあるし、それぞれがそれぞれの個性でクルマを作っているのが本当に奥が深い。それはデザインだったり、メカニズムだったり。いいところもあるし、悪いところもある。突き詰めてみて気づく事もあるしねえ。古い車はこれはこれでアナログでエキサイティングだし、新型のクルマはこれはこれでドライビングもテクノロジーもよりチャレンジングだし・・・。
酒はあまり飲まないけど、この味わいってワインみたいなもの?
とにかく、世界が広がりすぎて収集がつかない今日この頃?まだまだでもクルマを仕事にしたことでこんな世界にはまるのもこれはこれでいいのかな。(もちろん、日進月歩のエンジニアリング部分の勉強もけっこう大変だけど・・)
いまは現役でラリーの競技を戦ってはいないけど、これを時には思いっきり走らせて味わうことできるのもラリードライバーとして蓄積したモノがあってよかったなあと。これはお金じゃ買えない楽しみだもんな。だから“クルマはやっぱスポーツでしょ!”という基本路線は変わりませんけどね。
ところで先日、2010年モデルの“Viper ACR”(しかもその中でも超がつく限定車)にA/m/sのステッカーを貼ってもらっちゃいました。別に脅迫してではなく(笑)ごく自然に貼ってもらえたわけで、A/m/sを創めて10年経ったけど、こういう形で自分のスタイルを認めてもらえるのはうれしい限り。だって、最初に10坪のワークショップでGC8のラリーカーを作り始めたころは“スーパーカーにA/m/sステッカー”なんてまだ現実感のないものでしたから。
・・・とってもエキサイティングな“バイパー話”はまた改めて・・。
(ところで、このクルマってニュルでR35GTRより速いの知ってました?)
~とにかく、こういうのってやる気がでます! (←どんな??(笑))
ちなみに、冒頭S2000のいきなりの加工写真で始まりましたが・・こんなのを作って走らせたいなあという妄想です。なにごとも現実のものとするにはまずは妄想からですから!?
さあ、今年もがんばろう!!
面白い話題が提供できればいいなあ・・。