国際派ラリードライバー小西重幸のブログ
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プロフィール
HN:
小西重幸 (SHIGEYUKI KONISHI)
性別:
非公開
自己紹介:
●PROFILE
----------------------
* Rally Driver
* Driving Instructor
* Suspension Engineer

* Representative
of "A/m/s INC"

* Blood Type :Rh+O

* Base Town : TOKYO
(東京都調布市在住)


●略歴
----------------------
1995年 東北大学工学部卒
1995年 サスペンションメーカー技術部
2001年 A/m/s Inc.設立.
2004年 JRC Association 会長就任(~2011年)

●主戦歴
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* W R C
(World Rally Championship)

Car Model
: SUBARU IMPREZA STI

Category /Class
: Gp.N

WIN 1 time
: (Rally Australia '97 )

2nd 2 times
: (Rally Indonesia '96 / '97 )

1996 WRC series Gp.N / 6 th
1997 WRC series Gp.N / 4 th
1998-2000 FIA seeded driver

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* A P R C
(Asia-Pacific Rally Championship)

Car Model
: SUBARU IMPREZA STI

Category /Class
: Gp.N

WIN 2 times
: ('97 China, '98 Thailand)

2nd 1 time
: ('97 Thailand)

3rd 2 times
: ('96 Thailand, '97 Malaysia)

----------------------
* J R C
Japan Rally Championship (Domestic)

Car Model
: SUBARU IMPREZA STI

Category /Class
: JN-RB

WIN 1 time
: (Rally Hokkaido '02 )

3rd 3 times
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今日から全日本ラリー選手権の第2戦が四国愛媛県久万高原で行われる。永きにわたって続く伝統的な四国のラリーだ。
かつてはターマックラリーだったのだが、近年はグラベル(未舗装路)で行われている。

グラベルでのラリーはラリーの醍醐味があるとはいえ、主催するのは大変なもの。にもかかわらずグラベルラリーに転向するというのは、主催者及び関係者の熱意と努力の賜物に違いない。諸外国にくらべ開催も容易ではない日本の中にあってとても意義深いものだと思う。 

グラベルラリーはもちろんご存知のとおり北海道にもあり、毎年国際イベントも行われているし、全日本ラリーのシリーズの1戦ともなっていて、他の地域と違ったハイスピード&ロングディスタンスのSSがいろいろなドラマを生むことで毎年興味深いものではある。それに加えて、この全日本ラリーシリーズの2戦目にグラベルラリーが開催されるようになったということは、シリーズの序盤にいろいろなチームの戦略、ドライバーやマシンの仕上がりや得手不得意など、いろいろなコトが見えてくるといえる。そんな意味で重要だ。

今年の第1戦の九州・ターマックのリザルトは例年どおり・・といった感が多少あるが、ファンからすると、強者、チャレンジャー、新旧型といろいろ入り混じったなドラマがあったほうがより引き込まれるというもの。今シーズンが、今回の第2戦からどのように推移していくのか楽しみでもある。

毎日いろいろなクルマ好きの方と接していると、ラリーに興味を持っていらっしゃる方がどれだけ多いことか。(特にうちに来る方の性格的なものもあるかもしれませんが^^) でも同時に、日本で北海道以外にラリーが開催されていることをご存じない方が非常に多いのも事実。

ということで、興味が出てきた方からぜひ、いろいろ見てみて下さい!

JRCAオフィシャルサイト
http://www.jrca.gr.jp/

日本の道路事情から、WRCのようなダイナミックなコースは北海道以外ではなかなか難しいものではあるけれど、たくさんのドライバーがそれぞれのマシンで、身近ともいえる各地区のラリーステージで真剣勝負をしている姿も、なかなかのものですよ。

残念ながら今回、現地には行くことが出来ない。でも、オフィスに流れてくるリザルトや各種情報を楽しみにすることとしよう・・。

AAS2012_rd2_gallerystage.jpg






写真:JRCA公式Webより
~2012年全日本ラリー(愛媛県・久万高原ラリー)
 

ラリーではないんですが、先週末、ヒルクライムに行ってきました。
木曽の御嶽ヒルクライムというイベントです。

昨年もやってますし、今年の冬は豪快なスノーコースとしても開催されています。
今回もエントリーが50台。昨今のラリーを考えるとそのエントリー数はうらやましい限りです。
東京からだと結構ありますが、実は名古屋方面の中部地区からの方が近くて、そちらからのエントリーの方が多かったかもしれません。

さて、ここ数年ヒルクライムにときどき出かけてますが、このコースは去年コドラ?で参戦して様子を見ただけでハンドルを握るのは今回が初めてです(といってもゼロカー出走ですが)。本当は冬も行く気満点だったんですが、結局時間が作れず行けませんでした。今回だって、行くと決まったのは木曜日。いくら直前とはいえ直前過ぎます・・・。1ヶ月前までは間に合わせようと思っていたヒルクライム用!?のスペシャルマシンもワークショップでリフトされたまま。結局旧車のM3をもちだすことに。。。

しかし、これが悲劇の始まり。
なんせ、このクルマは1年半前の高山のヒルクライムイベント以来、出動・・どころかろくに動かしてもいないんです。
昨年はせめてレプリカミーティングにでも・・ともっていこうとしたらエンジンがかからず、展示イベントにもかかわらず、出走前リタイヤでしたから(笑)。(おまけに、内緒?ですが今年のBMW雑誌の取材撮影のときにも結局EGがかからず、近所の撮影場所まで“牽引”。・・ああ情けない・・)

金曜日の朝からメンテをはじめて、四苦八苦。ある程度は予想していましたが、予想していないことが起こることは想定内。結局やっとエンジンがかかったのは夕方でした。
足回りのメンテもあったので、エンジンがかかったところでまずは洗車をとガソリンスタンドまでテスト走行をかねて出動。自分にとってもちょっとしたカフェタイムです。

しかし・・・こういう時は重なるものです。。
しばらくすると店員さんの控えめな声・・
「洗車機かけたらフロントのフォグランプがもげちゃいました・・」

機械には“フロント周り洗車無し”をオーダーしたとかで、店員さんよりは機械のせいだと思うんですけどね。
そして、洗車終了ののち、こんどはまた彼からさらに元気のない声、
「エンジンかかりません・・・」

今度は、不動車状態です。
かぶりやすいエンジンなのでまたそれかとたかをくくっていたら・・・結局燃料が来てなさそう・・
・・さっきここまで調子よく来たのに??でも現実は現実。どうしようもありません。
牽引してA/m/sに戻る羽目に。
また電気系を点検して・・

結局はフューエルポンプ故障でした。
さっき電気系がだめだったのはわかるけど、フューエルポンプも同時期に逝くとは・・・
やっぱり旧車はつねに走らせていないといけません。あらためて教訓です。

そして晩飯を済ませてから、夜中に一人で足回りの修理&メンテ・・・
直前だから、モノもない、時間もない・・で結局満足いくメンテもできず時間だけが過ぎ、体力も消耗・・・・結局終わったのは待ち合わせしていた夜中の3時出発の10分前。最後のアライメントチェックが10分前なんて・・いかにもラリーっぽい(笑)
もちろん、残り10分は自分自身の“洗車”です。

ヒルクライムだって立派なモータースポーツ。
ということで、ひさびさにこの世界の“辛い思い”と“楽しい思い”を堪能しました。

しかし・・本当に“雨男”ということがまたしても証明されてしまったようで・・
午後に2本トライアルがあるのですが、午後になったら見事な雨。
もちろん雨の予報はあったとはいえ、やっぱり・・と思わずにはいられません。
~みなさんごめんなさい。

ということで、コースやイベントの様子はまたいつか紹介します。

(つづく?)

(写真は、このヒルクライムの名物?コーナー。道幅十分なので安心してスピンできます。天気がよかったらもっときれいだったのに・・。ダブルエントリーなので黄色い“0”と“45”のダブルゼッケンでした。)


(写真:JRCA広報)

まず、ブログに書こうと思っていたこと。

3月末でJRCA会長職を終えました。
関係者のみなさま、長い間お世話になりありがとうございました。

思えば7年に渡って務めてきたんです。
2004年当時に指名されたときは「何で自分が?」という状態に始まり、最初の1年はなぜかいろいろ謝ってばかり(笑)それに、正直いうとそのころはまだ現役のつもりでいましたから、自分がエントラントでなく違う立場でラリーの現場にいるのが辛くもありました。そしてそのあとの3年くらいでは、なんだか全日本ラリーが変わってきたような充実感が少々。しかし、残念ながら、その後の3年は、あまり何も出来ずすこし残念でもありました。

思えば、日本のラリー事情が自分がもとめるものとは少し違ったからこそ、海外のラリーに飛び出したわけですが、そうはいっても自分の母国のラリーがもっと活性化して欲しかったですし、トップカテゴリーである全日本ラリーはプロ化して欲しかったわけです。だからこそ違うアプローチをしてみたり、会長職も引き受けました。・・いま思えば選手として盛り上げるべきだったのかも・・。といっても今その答えは分かりません。

とくに後半は自分の本業もとても複雑化してきていたこともあり、わずかな時間でも確保するは至難の業。(ラリーが主業務であればもっと違ったのかもしれませんが・・)
かといって、ある程度改善されてきた全日本ラリーにとって、“それ以上”のステップへ押し上げるには今度はいろいろな意味でよりハードルの高い状況。とうぜん自分にとってもハードルは高かったんです。はがゆいと思ったり負い目を感じてもどうすることも出来ませんでした。「でもいまは力がなくて大きなことができなくても、JRCAが存在することが今は大事なんだ」と思うしかありませんでした。

7年という就任時期は長すぎたと思っています。
活性化のためにも4年前後で変わるのが適正だったと。しかし現実的には後半は交代を希望はしていたとしても、後継の方として適任の方(いろいろな条件で・・)が容易に見つからず、時期適任の方に引き継げなかったのは残念でした。これほど重要な会を投げ出すわけにも行きませんし、だれかに代わるためには誰かを口説かないと(笑)いけませんが、そんな余力すらなかったのかも。

しかしながら、今年4月より、ようやく新体制のJRCAが動き出しました。
いろいろな背景を経て、ようやくみなさんの力が積極的に前に向かうようなパワーを蓄えたタイミングだったのかもしれません。いまの皆さんのパワーは、自分が望んでいたパワーでもあり、身を引く立場としては実に安堵した気分になれます。
(ちなみに映像レポート配信もスタートしています。(http://www.youtube.com/user/JRCAVideo
2009年は映像だけとっていろいろな事情で形にはなりませんでしたが、今年のコレはイベント後にすぐ見れるっていうのがいい感じです。)

ラリーというものは、実は“誰もが参加できる身近な競技”という性格がある反面、全日本ラリーについては、日本のトップカテゴリーであるという“興行性のある競技”という側面もあります。どちらもとても大事だと思っています。今後の日本のラリーを考えるにあたって、この2つの相反する内容をどう分離していくのか、またはどうバランスするのか。この部分について、しっかりとコンセプトを決めていかないと、方向性を見誤ってしまうのではないかと思います。

方向性が微妙に違えど、“ラリーという競技を、関係者のだれもが愛してやまない”と言う事実は、7年間の行動の中で何度も意識してきました。そのパワーがひとつの方向にいくことが今後の日本のラリーの未来を決めていくのかもしれません。そしてそれができる可能性が一番高い組織がJRCAだと思っています。ただし、誤解されがちなんですがJRCAというのはみんなでなにかをするための組織であって、誰かが何かをやってくれるモノではないということ。(JAFやJMRC組織とは根本的に違う性質のものです。そしてこれも誤解されがちですが小さなことをするにも資金が十分ではありませんし・・)

とにかく、コンセプトと組織の本質を関係者みんなで一致させないと。

会長職は離れましたが、日本のラリーの今後について、もちろん私自信も、それがより成熟した文化となるよう祈っていますし、今度は違う立場で、自分なりそして自分の経験なりになにか役に立つことが出来ればと思っている今日この頃です。


~~~~~~~~
ということで・・・
最近はインストラクターやデモランばかり。まあ、やっと開放されたことですし・・・
走り気分、少しずつ再燃焼中!?(笑)
周りに刺激になりように、もうちょっと走って役に立てなきゃねえ。

(・・とはいっても、その前に今の課題をクリアしなければ!?)


(2009,JRCA Rd1 Karatsu)

JRCAという全日本ラリー選手権のアソシエイションがある。全日本選手権をよくしていこうと親身に考える200近い個人や団体会員があつまってできている組織だ。

これまでも、全日本選手権の安全性やクオリティアップのためにいろいろな改革をしてきたし、その功績は大きいと思う。もっとも、功績といってもJRCAの会員のみなさんが一生懸命方向性を合わせてきたからこその結果であって、ついついイメージしがちな"JRCAという組織が何かした"という意味とはちょっと違う。組織は個々で構成されているのだから。

全員が集まれないゆえに、評議委員という代表者が毎月のように会議を設けて(主に東京地区だけれど)問題点や今後の方向性をみんなで共通認識として意識し、選手や主催者やメディアそしてメーカーなどの各分野の経験者がいろいろ意見をだしあって、すこしずつ改善しようとしている。

ただ、ある程度の形ができてくると、ここから先は実はとても大変だったりする。というのはアイデアはあるものの、それを実現していくには、より高いクオリティにしようという個々の意気込みも必要だろうし、当然のこと、費用のかかる部分も出てくる。でも解決する方法はひとつ。ひとりひとりの力は小さくても、みんなで方向性をあわせて力をあわせるしかない。・・・現実的な話、運営も基本的に会費で成り立っているわけで、本当に力をあわせないと何もできなくなってしまう。

とにかく、今のJRCAは次のステップに進む前段階ともいえる。これから先の道のりは短いようで険しい感じ。実は今のJRCAの活動はちょっと停滞している気がしないでもない。それはみなさんがやる気が無くなったというわけではなく、次ステップが険しいからこそ、どこから攻めるのか・・と慎重になっている、そんな感じ。普段出席の評議員のみなさんもそれぞれ仕事を持ってその合間の時間をやりくりしていますから。理想をかかげて突進できるほどコトは易しくない。

ふと、考えてみる。JRCAがなかったらどうなるか・・・。

そうなると・・・全日本選手権という国内最高峰のイベントなのに、シリーズを代表するWebはなくなってしまうだろう。いまのニュース配信もなくなってしまう。だれかがやるのか?・・でも似たような物はできたとしても、やはり一般的に公式と呼べるもは容易ではないだろう。また、JRCAのWebにあるような手引きも看板なども全国で活躍している。つまり、シリーズとしての一体感、世間への表扉・・・そんなものが揺らいでしまうのではないだろうか。

そう考えると・・やはりやってきたこと、そして今存在することはとても有意義なことだろう。

さてさて、結局のところ何が言いたいのか・・

JRCAは組織ゆえ、ついつい、“何かしてくれるだろう"的な期待があるのは事実。でもJRCAは評議委員が運営しているものではなく、個々の会員で構成されているもの。だから決して人事ではなくみんながそれを意識して協調して行かなければそれぞれの人が描く理想的な全日本選手権には実現できない!・・ということかな。

それから、もう少し言えば・・・
新しく同志が増えると・・・
最高なんだけどなあ。
スーパーデミオが参戦のため遠く福岡まで遠征を楽しんだのは昨年の唐津。あれから1年。あまりにいろいろなことがあったから、はるか遠い昔のよう。

前置きはさておき、先ほど、第一線が終わった様子。
第一線なんですが、立場的に本来は現地に出向いていなきゃいけないのかもしれませんが、訳あって自分のオフィスにいます。

なんだか昨日から見てたけど、波乱つづきのリザルトでした。
そして終わってみれば順位も新鮮。
全日本ラリーも欧州と同じく新しい世代のトップスターがどんどん出てくれて活性化してくれるといいんだけど。

それにしても範くんは相変わらず強いなあ。
速さはもちろんだけど、確実に結果を出すのってそれはそれで大変なはずだからな。

結果はこちらから見れます・・・<主催者リザルト速報>
ということで、A/m/s内の企画会議?で突如として始まった、全日本スーパー1500クラス参戦プロジェクトもようやく実を結びました。

ご覧のとおり、現在のJN1.5の車両規定を考えれば、「ここまでやらなくても??」という仕様です。
しかし、ココには自分をはじめ、なによりもこのマシンのオーナーの強い“気持ち”が現れています。

その気持ちとは
**ヨーロッパのような“ラリー文化”をすこしでも実現したい!**
というもの。

やっぱり走る側も応援する側も一緒になって
“思いっきり楽しまなくちゃ”です。

まあ普通に考えると、こんな仕様にするにはお金がかかりすぎてこのクラスとしては非現実的かもしれないけど、こんなマシンはヨーロッパではザラ。トップカテゴリーのラリーとは別の次元でしっかりと“ラリーの魅力”を持ってヒトを惹きつけてくれてます。もちろん取り巻く環境のスポンサーマネーが違いすぎる現実があるけれど、大事なポイントは、

『非現実的なスゴイ仕様』 なのに 『ベースは等身大なクルマ』

というトコロ。
これがより多くの人をひきつける要素かも・なんて思ったりします。
“手が届きそうで届かなそうで・・自分に重ねてイメージできそう・・・”なんてトコがね。


さてさて、デビューラリーでは“ラリーPR大使”!?の任務を背負ってしっかりと走っていましたが
次はどこに出現するのでしょう? 
この活動によって、一人でも多くのヒトが “日本のラリー”
に興味をもつようになってくれると“最高”です。

それにしてもオーナーのこの勇気には感服です。
カラーリング慣れした自分にとっても相当派手。
ウロウロしてたらすぐ目撃されます。

いやあ楽しいなあ・・・。 よろしくね~(←他人ゴト)

【写真】
ちなみに、ホモロゲのないデミオですが、
「もし FIA公認車両としてホモロゲがあったら・・」
というイメージで車両製作をしてみました。

ロールケージは、写真やカタログデータを研究し(オーナーが?)
カスタムケージ社のプジョー206用キットを流用。
もし206で作っていたらちゃんと“FIA公認”のロールケージ。




写真で振り返る・・続きです。

superdemio-inside5.JPG







こちらは9月28日、だいぶ“らしく”なりました。

superdemio-inside2.JPG







そうしながらも着々と作業は進み、ドアも付き、内装もそれなりに。

それにしても、ようやく“らしく”なったこの写真。
「10月1日」
ラリーはレッキが10月3日、スタートが4日・・だからつまりは出発2日前の朝。

superdemio-2dago.JPG







同じ日。
ご覧のとおり・・・・マシンは“真っ白”です。


この後が、超ハード。徹夜のカラーリング作業・・・。

superdemio-3dago.JPGデザインは1ヶ月前から考えはじめ、大体のデザインは早くから確定していたものの
ブルーにするか、ブラックにするかで最後まで悩みに悩み・・・ギリギリまで・・。





2eda74eb.JPG自分でデザインしておいてなんですが、予想以上にカッティングシートを貼るのが大変なデザイン。でもこれだとなんだかポケモン風!?






47b87f00.JPGデミオのプレスラインに極力あわせたので、以前施工したエボ5の凸凹したボンネットやフェンダーを“1枚貼り”したときよりは一つ一つはイージーなんですが、なんせ貼る枚数の多いこと・・・
すっかりナメテかかってました・・・。

 


ハイ・この姿。  “出発の日の朝・・・”。  スゴイでしょ?

 

まだ興味のある方もいると思うので、スーパーデミオの続編です。

(上海出張でちょっと更新遅くなりました。すみません。こちらのレース話はまた後日!?)


これがラリースタートのほんの1週間前の姿。
ロールケージの塗装が終了して組み立て待ち・・という姿。ちょうど前に書いたカマドウマ・デミオの続きに当たるショットです。本当に間に合うのか・・・訪れるお客様みんなが微妙に“驚き&心配”しているのが面白かったりして・・。といってもこのときは自分も開き直るしかないころでしたが・・。

superdemio-inside.JPG







同じ日。内装を組み立ててます。
ウチなのでスバルつなぎっていうのがポイントです(笑)

superdemio-lsd.JPG







これがその翌日の写真。出発のほんの4,5日前にはトランスミッションは下りた状態。
クスコ製LSDを組み付けます。でも開けてビックリ、顔面蒼白・・。
リングギアが巨大なリベット留め。(←つまり交換がとても大変だということ)

「なんてこった・・この時間がないときに・・」

やはりモータースポーツ。
この期に及んでさらに“悪いこと”が いとも簡単に起こってくれます。

つづく・・・
supeerdemio1.JPG勝負にこだわらなければならない全日本ラリーのなかにあったら、
『ちょっと不真面目じゃない??』
といわれそうな気がしなくもないですが、2人で夜な夜なアレコレどうしたらカッコいいかのディスカッション。




◎リアウィング
・・・実はシトロエンサクソ用。
なぜ、こんなモノがウチのストックにあったんでしょう?!(笑)
いつかやりたいと思ってたんだよねえ。。こんなこと。
~“わたくしの遊び心”です。

◎ルーフベンチダクト
・・・これはうちで昔販売してたGC8用。
でもこれは“オーナーの勢い”です。
完全に小西ペースに乗せられた!?

◎17インチホイール
・・・本番ホイールは中古なのに、レッキ用?は新品、しかも17″。
・・・そそのかしたのはオレ??

ちなみに、ランプポッドはプジョー206用。

さてさて、ラリー当日は
この遊びすぎ?感から、皆さんの反応がちょっと心配でしたが・・。

なんせ、送り出した自分からすれば、全日本初参戦で少々ナーバスになっている“隊長”を
まるで“ライオンの檻に放り込んだようなもの”ですから。

まあでも、とりあえず全日本ラリーのその場ではギャラリーだけでなく、
エントラントや関係者の方々にも受け入れていただけたようで・・。

ふ~。ひと安心。

つづく。。

superdemio-2wago.JPG~それにしても、今回のラリー前の準備はすごかった・・。

もちろん他の作業やらM3やらが重なったのはありますが、
東京スバルラリーチームの立ち上げをやった2003年、あの開幕戦前を思い出すしびれるスケジュール。

・・・まあ、『もっと早く開始しろよ』
という声も聞こえてきそうですが、パーツの手配、選定・・・
世界的にも希少ラリーマシンなので、とにかくないんです。パーツが。

もろもろを準備していたらあっというまにラリーまで残り半月強・・。

【ちなみに写真はスタートのほんの2週間前。ロールケージ塗装のためにマスキングしたのですが、カマドウマのような姿になったデミオ。このときももちろん焦ってました。。。】
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